ネットワーク革命としての情報革命講談社情報革命人物論
(会津泉・ハイパーネットワーク社会研究所/国際大学GLOCOM)
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年賀状をワープロで作る位はまだ許せても、職場の事務連絡に電子メールを使うのは御免だという平均的サラリーマンにも、「情報革命」の流れは避けられないのだろうか?残念ながら、答えはイエス。でも、嫌いなことまで無理にする必要もない。
「情報革命」は半導体革命から
今日の情報革命の第一幕は、70年代半ばの「半導体革命」だった。微少な電流を単純に増幅するだけのトランジスターが、複雑な機能を発揮できるICとなったのがきっかけで起きた。指先ほどのチップ1つで、ゼロと1の組み合せによる「計算」が自在にでき、ICによる時計や電卓が登場した。やがてIC電卓に「記憶装置」が付き、複雑な計算をこなせるようになった。計算の苦手な文科系の学生にこそ、電卓のメリットは大きいはずだった(いくら電卓があっても、式がわからなければ答えも出ないが)。
以来20年、半導体の性能は18ヵ月で2倍の割合で向上してきたといわれる。半導体のトップ・メーカーであるインテルの創業者の一人、ゴードン・ムーアの唱えた「ムーアの法則」である。3年で4倍、9年で64倍という猛スピードだ。ICがさらに高度化してLSIになり、本格的な計算ができる「MPU(マイクロプロセッサ・ユニット)」が誕生する。世界初のMPUは、日本の天才技術者、嶋正利氏が、「ビジコム」という日本のメーカーで発想し、インテルに移籍して完成させた。
半導体からパソコン革命へ
情報革命の第二幕は、「パソコン革命」だ。世界最初のパソコンは、1974年、米国ニューメキシコ州アルバカーキのMIPSという会社が発売した「アルテア(サソリ座の一等星=アルタイルのこと)」で、インテルのMPUが入っていた。キーボードもディスプレーもない原始的な箱だけだったが、組み立てラジオの感覚で個人がコンピューターを使えるようになったことは、当時の理科系人間には驚異的な出来事だった。
エレクトロニクス雑誌の表紙に掲載されたアルテアを見て、即ハーバード大学休学を決意したのが、いまや世界一の大金持ち、マイクロソフト社の創業者、ビル・ゲイツで、19才のことだった。マイクロソフトは「極小軟弱」という社名とは裏腹に、パソコン・ソフトで世界一の会社となり、コンピューター業界をほぼ制覇したとさえ言われる。彼の強みは、新しい技術が普通の人間に対してもつ可能性を鋭く見抜き、それをビジネスとして完成させるために必要な術を心得ていることだ。
第三幕はネットワーク革命10年で100億倍!
情報革命の第二幕は、ビル・ゲイツを最大の勝者に幕を降ろし、いま第三幕がまさに始まった。第三幕の主役は、パソコンとパソコンをつなぐ、つまりネットワークで、情報革命第三幕とは「ネットワーク革命」に他ならない。「インターネット革命」といってもよい。
この第三幕の幕開けを最初に高らかに宣言したのは、米国のゴア副大統領だ。クリントンと組んだ1992年の大統領選挙戦に、光ファイバー網による「情報スーパーハイウェー」構築を掲げた彼は、インテルやマイクロソフトなどのハイテク産業が米国産業「復活」の原動力になると見抜き、情報化が産業、生活のあらゆる分野で起爆剤となって、米国全体が世界経済の勝者となるというシナリオを描いて、ホワイトハウス入りを果たした。
しかし、その後実際に起きた事態はゴアのシナリオの枠をはるかに超えて発展した。その代表がインターネットだ。パソコンから大型コンピューターまでを自在につなぐことで生まれるパワーは、光ファイバーを引かなくても十分実証された。
コンピューターのパワーは、その心臓部品であるMPUのパワーの自乗で伸びるという。ジョージ・ギルダーのいう「マイクロコズムの法則」である。MPUのパワーは「ムーアの法則」によって18ヵ月毎に倍増するから、コンピューターのパワーはさらにその自乗、つまり18ヵ月で4倍の割合で性能が向上する。パソコンの20年間の歴史を見ると、この数字はほぼ正確にあてはまる。かつて部屋全体を占めた「大型コンピューター」と同等以上の性能が、いまや子供用のTVゲーム機で実現され、3万円で買えるのだ。
そのパソコン同士をつなぐネットワークはどうか。ギルダーはもう一つの法則「テレコズムの法則」を唱える。「ネットワークのパワーは、そこにつながるコンピューターの数の自乗に比例して伸びる」というものだ。実際にインターネットにつながっているコンピューターの数はほぼ年々倍増で伸びているから、ネットワークのパワーはその自乗で年々4倍の伸びとなる。
かくして、ムーアの法則にテレコズムの法則を掛け合わせると、ネットワークとそこにつながるコンピューター全体が生み出すパワーの総和は、年間で10倍、5年で10万倍、10年でなんと100億倍というとんでもない勢いで伸びていることになる。
インターネットでできることをすべて足すと、これだけの成長率になるのだ。昨今の「インターネット・ブーム」とは、このネットワーク・パワーの爆発的な成長率を反映したものに他ならない。しかも、これまでは、どちらかというとハードの性能で論じてきたが、インターネットに接続されたコンピューターには、すでに膨大な量のディジタル情報が蓄積され、地球大の規模で広く共有、利用可能となっている。その情報量そのものが、日々爆発的に増えているのだ。
インターネットの進化の歴史
コンピューター同士を結ぶネットワークとしてのインターネットの原型は、冷戦時代に米国で生まれた。ソ連の核攻撃に耐えて生き残れる分散型の通信網を考えた結果、通信信号をディジタル化し、細切れに刻んで送る「パケット通信」方式が、ランド研究所というシンクタンクにいたポール・バランたちによって考案された。
60年代末、米軍中心に実際にコンピューター同士をつなぐ研究ネットワークARPANETが生まれ、そこでパケット通信をさらに発展させて、今日のインターネットの基本型を完成させたのが、当時UCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)にいたビントン・サーフとBBNという会社から国防省高等研究局に移ったロバート・カーンらのチームだった。彼らはよく「インターネットの父」と呼ばれる。
80年代には軍用のARPANETとは別に、ウィスコンシン大学のラリー・ランドウィーバーやペンシルバニア大学のデビッド・ファーバーらの尽力で、主として大学の研究者を結ぶCSNETが生まれ、それが全米科学財団(NSF)の運用するNSFNETへと進化した。NSFNETは研究目的に限定しつつ、民間企業の利用も認め、それが結果として本格的な商用利用への道を開いた。
今日のインターネットとは、商用ネットを含む数多くのネットワーク同士が相互に複雑に接続された、「ネットワークのネットワーク」である。日本では、現在慶應大学の村井純らの尽力でインターネットが発展してきた。
インターネットの爆発とネティズンの時代
インターネットを一般の人々に身近な存在にしたのは、WWW(ワールド・ワイド・ウェブ)の功績だ。WWWは字義通り、世界中を蜘蛛の巣のように結び付いた情報の輪で覆う道具で、イギリス人物理学者、ティム・バーネス=リーが開発した。ただし、WWWは操作が難しく、当初は普及しなかった。このWWWをだれもが簡単に使えるようにしたのが、当時23歳のイリノイ大学の学生、マーク・アンドリーセンで、「MOSAIC(モザイク)」という「閲覧ソフト」を開発し、文字に加えて絵や写真、音声、動画まであらゆる種類の情報を、マウスのボタン一つで、世界中どこにあっても簡単に引き出せるようにした。
これによって、首相官邸やホワイトハウスなどの政府機関、朝日新聞やニューヨークタイムスなどのマスメディア、銀行や自動車会社などの企業から、ごく普通の主婦や高校生などの市民に至るまで、自分のつくる情報を世界中に簡単に、ローコストで発信できるようになった。オンラインのバンキングやショッピング、電子取引、さらに企業内情報システム=「イントラネット」まで、インターネットの応用は様々に拡大しつつある。
このインターネットを自在に使いこなす新しい人類が、「ネットワークに住むシティズン」つまりネティズンだ。彼らネティズンたちによる本格的な社会革命=「ネティズン革命」こそが、来るべき情報革命の第四幕、おそらく終章(フィナーレ)を奏でるだろう。大企業や大組織だけが力を誇るのではなく、小さくても弱くても、人の心をつかみ、真実を、面白いことを、楽しいことを発信する力がものを言う時代がきっと来るだろう。
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