グローバルガバナンスの夜明け
ICANNのあるべき姿を探る
『インターネットマガジン』連載第12回
(2002年8月)
文字コードから見えてくる途上国のデジタルデバイド問題
早いもので、この連載を始めてから丸1年になる。「ネットガバナンス」をテーマに、ずっとICANNについて書いてきたが、ガバナンスの問題は、ICANNに限らずインターネットやICT(情報通信技術)分野全体の重要な課題だと考えられる。今回はすこし視点を広げて考えてみたい。ここでいうガバナンスとは、従来の政府・議会・官僚組織による「政治制度」=ガバメントではなく、広く民間企業や市民も参加する、より幅広く自主性の高い「統治」をさすものと考えていただきたい。インターネットの発達は情報の共有を容易にし、それだけ大勢の人が参加してガバナンスを実践する可能性と重要性が増したといえるだろう。
技術と社会の両方の理解が必要
ここ数年で急激に普及したインターネットや携帯電話などに代表されるように、情報通信サービスがわれわれの生活により広く、深くかかわるようになるにつれて、その技術的な要素についての決定が、単に技術分野だけではなく、経済や産業活動、市民生活全体に与える影響の度合いがより増している。新規技術の標準化、国際通信料金の設定、電子商取引のセキュリティやプライバシーの基準などについて、だれがどう決定するかは、いずれもガバナンスの問題として重要だ。
コンピューターの2000年問題、いわゆるY2Kや、9月11日のテロ事件を境に注目されるようになったネットワークのセキュリティ、最近の「住基ネット」や「ワン切り」の問題も、やはりICTをめぐるガバナンス問題だ。
ただし、技術は急速に高度化、専門分化を続け、その内容を正確に理解して決定するためには相応の専門知識が必要となる。同時に、ある決定がもたらす社会的な影響を理解するためには、狭い意味での技術の専門知識だけでは不十分で、経済や法律などを含めた社会分野の知識や洞察力も欠かせない。
ところが一般に技術の専門家は広い意味での社会的視点に弱く、他方社会的視点をもつ経済学者や法律家、あるいは政策担当官僚は技術に弱い傾向がある。技術と社会の双方の専門知識を兼ね備えた人はごく少ない。異なる分野の専門家同士が協力すればいいはずだが、理屈はともかく、実現は容易ではない。新たな仕組みについて共通の合意に達するために必要な、土台となる基本原理が確立・共有されていないために、個々の問題の理解と解決が遅れてしまうことも多い。いま進められているICANNの「改革」をめぐっても、同様のことがいえる。
開発とIT DOTフォースにNPOとして参加
私自身はここ数年、ICANN以外にも途上国の開発とICTをめぐる問題、いわゆる「デジタルデバイド」をめぐる活動にもかかわってきた。この問題もICTの「ガバナンス」の問題の一事例だ。
2000年の九州・沖縄サミットで、G8の先進8カ国首脳はインターネットなどのICTが人類社会に新たな分断をもたらす危険性を指摘し、その克服策を求めることを決定した。先進国がインターネットなどを活用した「ニューエコノミー」によって新たな成長・繁栄を謳歌する反面、そこから取り残される途上国、とくに過疎地や貧しい人々とのギャップの拡大は、世界全体にとって新たな不安定要因と考えられた。そこで、「DOTフォース(Digital
Opportunity Taskforce)を設置し、解決策を提案することが求められた。
DOTフォースには、先進8カ国の政府、民間企業の代表に加えて、NPO(非営利組織)の代表が加えられた。G8では初の試みだった。背景には、開発とICTという国際社会でも新しい問題に取り組む上で、政府や企業の専門家だけではなく、現場で問題に取り組むNGO(非政府組織)やNPOの経験や知恵が欠かせないとの認識があった。私の所属する国際大学GLOCOMも、日本政府からの依頼を受け、日本のNPOとして参加した。
DOTフォースにはインド、エジプト、ブラジルなど9カ国の途上国政府と、ITU(国際電気通信連合)、UNDP(国連開発計画)、世界銀行など多くの国際機関に、世界経済フォーラムなどの民間組織も加わり、今年7月のカナダサミットまで、足掛け二年の活動を行ってきた。
実質的には半年足らずで、最初のアウトプット「ジェノア行動計画(GPA)」ができた。参加メンバーが様々な国際会議やメーリングリストなどを活用して意見を収集する「コンサルテーション」を進め、2001年3月にケープタウンで、4月末にはイタリアのシエナで全体会合を開いて議論し、まとめたものだ。
このGPAは、「途上国政府の電子化戦略の確立・支援」、「情報・通信のアクセスの改善」、「人材育成」、「企業家支援」、「政策決定への普遍的参加」、「現地文化の尊重とコンテンツの充実」など9項目からなっている。紆余曲折があったが、最終的には政府も企業もNPOも、相互理解を深め、合意に達した。当初懸念されたNPOの扱いも、予想以上に前向きのものだった。
GPAは最終的には2001年6月のジェノアサミットでG8首脳によって承認されたが、分野別に行動の必要性を宣言しただけで、予算や人員など具体的な裏付けを伴う実施計画ではなかった。そこで、予定を一年延長して、「実施計画」づくりを担当するチーム活動が続けられた。DOTフォースの、いわばパート2だった。
ICT政策決定への途上国の参加
GLOCOMでは、経済面に議論が絞られることを危惧して、「ICT関連の政策決定への普遍的参加」、ガバナンス問題の重要性を強調し続けた。「ICTを活用して産業を起せば途上国も豊かになれる」、というほど事態は単純ではないと考えたからだ。
その一例としてICANNをとりあげた。この連載ですでに述べたように、ICANNの「一般会員制度」とは、全世界を5地域に分けて各一名の役員を選出する仕組みで、欧米先進地域に偏らず、世界全体が参加する公平な意思決定の実現を目指したものだった。しかし、現実には、ICANNの毎回の会議に参加する人々は圧倒的に先進国が多く、途上国からはごく限られた人しか参加できない状況が続いてきた。しかも、「一般会員制度」は、今回の改革のプロセスで単なる「助言委員会」へと権限が大幅に後退しようとしている。
かりにICANNでの決定内容が、「純粋に技術的なこと」に限られるのであれば、さほど問題はないかもしれない。しかし、たとえば新しいトップレベル・ドメインを導入しようとする際、どこがそれを運用できるかの条件の決め方によっては、資金に乏しい途上国は実質的に締め出される。あるいは「多言語ドメイン」、アスキー文字以外の文字でドメインやアドレスを表現できる仕組みは、アジア諸国がもっとも必要とし、かつ影響も大きいものだ。タイ、インド、ラオス、カンボジアなどのアジア諸国は日本や中国と並んで重要な利害当事者のはずだが、この問題への参加はまだ少ない。個別・部分的な努力はあるが、ICANN全体として途上国からの参加を支援する制度はない。DOTフォースの実施計画には、ICANNなどの新しいタイプの国際組織への途上国の参加支援の仕組みづくりを盛り込んだが、まだ有効な形では始動していないのが現状である。
カンボジアのクメール文字標準化問題
DOTフォースで取り上げた技術の標準化決定における「デジタルデバイド」の典型例が、カンボジアの文字、いわゆるクメール文字の問題だった。この問題は、GLOCOMによるコンサルテーションの過程で、ICANNの常連でもあるカンボジア在住のドイツ人ノーバート・クライン氏と、彼を含めカンボジアの人々と共同活動をしてきた東京大学の原田至郎氏らに導かれて浮かびあがり、調査を進めてDOTフォースの議論に持ち込んだ。
事実経過を詳しく述べるには紙数が足りないが、端的にいえば、ISO(世界標準機構)とユニコード・コンソーシアムという二つの国際組織が共同して進めた文字コードの標準化で、カンボジアの人々が日常的に使うクメール文字の標準案の検討プロセスに、当のカンボジア人がまったく関与しないまま決定がなされ、その内容もカンボジア人には理解・承服し難いものだった、というものだ。
コンピューターで使う文字コード体系の標準化は、異なる国や民族の文字のアプリケーション開発で、開発者の負担を大きく減らすとともに、ユーザーは異なるOSやアプリケーションでも同じ文字が使え、インターネットでのメール交換やウェブ上での文字表現の混乱が避けられるなど、実用上のメリットは大きい。事実、マイクロソフトは基本的にはこのISO/ユニコード体系を採用している。
しかし、クメール文字コード体系の標準化では、インド系言語の専門家と称する欧米人が主導し、隣接する北インドの文字体系と同様の提案が採用された。実際には、クメール文字は南インド系の文字から伝わり、その後の歴史のなかで独自の体系が発達したものだという。しかし、欧米の専門家は「カンボジアのような小国は、インド系の処理方法にすればインドのプログラマーたちが簡単にアプリを開発できるから、メリットが大きい」と主張したという。ポルポトらによる知識人虐殺と長年の内戦の疲弊から復興しようとしていたカンボジアの関係者が、国際標準づくりが進行していることに気がついたときには、決定は終わっていた。
自分たちの文化と生活の基礎となる文字コードの標準化決定に関与できなかったカンボジアの人々の反発は強かった。だいぶ誇張になるが、日本のカナ文字の処理を韓国のハングル文字と共通の考え方で整理されたといえばいいだろうか。しかし、ISOなどの関係者は、いったん正式決定したものはいかなる理由でも一切変更できないと強硬に主張した。変更すれば国際標準への信頼度が損なわれるという理由で。カンボジア側は政府が正式に抗議し、変更を求め続けた。
DOTフォースに加えてeASEANという東南アジア各国政府のIT政策フォーラムでも取り上げられ、再考が求められたが、ISO側の主張は変わらなかった。結局、今年5月にユニコード側が謝罪文の発表と、新規コードの追加、不適切なものについて使用を奨励しないことを明記するなどの「妥協案」を出し、カンボジア側は、実装を急ぎたい事情もあって、この妥協案を受け入れ、ほぼ決着がつこうとしている。
文字コードの標準化をめぐる問題は、カンボジアだけに限らない。アフリカでも、アルファベットに追加する、現地語の記号の扱いなどで問題があるという。タイは自主的な取り組みが先行したので結果的にはほぼ望み通りとなったが、その説得過程では多くの時間と労力、苦痛が伴った。モンゴルも不本意な形で決まったという。ラオスやミャンマー、ブータン、あるいはネパールなどの少数民族の文字でも問題があるらしい。
加速するICANN「改革」への動き
今後ICTの社会への浸透が高まるにつれ、同様の意味で潜在的な問題が顕在化する可能性は十分ある。こうした事例にかかわるにつれ、ICTの技術問題についての決定を技術の専門家だけに任せる時代は終わり、利用者、市民の代表を含めたより社会的な観点での取り組みが必要になってきたことを痛感している。
ICANNがそうした流れにいわば「逆行」する改革をしていることに疑問は尽きない。ICANNの「進化・改革委員会」は8月1日に役員指名委員会の構成などを含めた「実施案」を発表し、一方、一般会員から選挙で役員を選ぶことを主張するグループも、7月末に幹事の選挙を行い、活動を続けている。10月の上海会議での決定に向けて動きは加速しているので、詳しい報告を次号でお届けしよう。
●参考URL
DOTフォース www.dotforce.org
DOTフォース GLOCOMの取り組み www.glocom.ac.jp/dotforce
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